1.3 ただの真っ白な紙いちまい
学校教育という営みにおいて,私たちは常に「何かを与えること」を美徳としてきました.例えば授業では,教科書の内容を咀嚼し,分かりやすく図解し,子どもたちが迷わないように誘導する.その親切心の結晶とも言えるものの分かりやすい例が,緻密に構成されたプリントやワークシートでしょう.
しかし,そこには大きな落とし穴が潜んでいます.私たちが丁寧に用意した枠組みや解答欄は,子どもたちにとっての思考の地図であると同時に,そこから一歩も外に出てはならないという「檻」として機能してしまいます。
この檻を解体するために必要なのは,勇気を持って引き算を行うことだと考えました.それが「あいだのいちまい」という実践の第一歩となります.あらかじめ印刷された枠、整えられた表、美しくレイアウトされ迷わないように設計されたそれら一切を,一度すべて手放してみる.
目の前にあるのは,ただの真っ白な紙いちまい.
この極限までの引き算が,なぜ学校教育(授業)における自由を,そして教師のプロフェッショナリズムを呼び覚ますのか.深めてみることにします.
1.4 暗黙のメッセージ
多くの教師にとって、教材研究つまり授業準備を怠ることは罪悪感に直結します,私はかつて,穴埋め式のプリントで完全な誘導を目論み,悦にひたったことがあります.しかし,そのプリントを埋めることに汲々とする子どもたちの姿を眺めながら,ある種の違和感を拭えませんでした.彼らは考えているのではなく,私が用意した正解の断片を探し,パズルのように嵌め込んでいるだけではないか.この構造は,「人格の完成」からはかけ離れ,思考を外注化し,むしろ受け身の姿勢を強化する装置にさえなっていました.
プリントやワークシートに印刷された小さな四角い枠は、暗黙のうちに「この範囲内で考えなさい」というメッセージを発信します.枠からはみ出すような独創的な疑問や,論理の飛躍を伴う直感は,ここでは「ノイズ」として処理されてしまいます,子どもたちは,「教師が望んでいる答え」を推測し,その期待に沿うように自分の思考を削ぎ落としていきます.私はこれを「置きにくる」と表現しています.これこそ私が「檻」と呼んだものの実体です.この物理的な制約をなくし,ほぼ何の印刷もされていない白紙,すなわち「あいだのいちまい」とすることは,単なる形式の変更ではありません.それは,私たちがある意味での防衛策を脱ぎ捨て,子どもたちの脳内で起きている生々しい真実に,丸腰で向き合う覚悟を問うものです.
ここまでの整理:檻の正体
・緻密なワークシートは,教師の不安を解消するための防衛策になり得る.
・印刷された枠組みは,生徒の自由な思考を制限し,正解探しへと誘導する.
・準備を捨てることは,教育基本法の理念に立ち返り,生徒の主体性を回復するための決断(覚悟)である.
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
私は今、「あいだのいちまい」という種を、皆さんと一緒に大きな樹に育てていきたいと思っています。この取り組みに興味がある方、一緒に面白いことを仕掛けたいと思ってくださる方からのメッセージを、心よりお待ちしています。一緒にワクワクする未来を話しましょう!
※「あいだのいちまい」は本記事著者の登録商標です.
