今日のエンタク「朝の積読解消会」で @のりこ さんの言ってたことに感銘を受ける。

「乗りこえるは難しくても“乗りこなす”、パッチワークみたいなことができればいいんじゃないか」

「学校は臥薪嘗胆とか、乗りこえるとかってなりがちだけど、その場その場でなんとか凌げればいいんじゃないか。レジリエンスってそういう感じじゃないか。」

いま、私と @あやこ さんは、『ヘイトを乗り越える教室』を読んでいて、その感想をしゃべった流れで出てきた言葉。

のりこさんは防災教育をやっている人なので、「自然災害とかは、そもそも乗りこえるってなんか違うし、無理だし、おこがましい感じもする」という話も。

確かに、「乗りこえる」って、達成思考というか、「ゼロー100」な感じがあるよなあ、そして自分は完全にそっちの思考で、だから社会に対して怒りや変えたい気持ちが湧くわけだけど、その分無力感に苛まれるし、自分が健康から遠ざかる感じもする。

自然の話だけじゃなくて、差別とか戦争・紛争みたいな社会的な、人為的な話でも、パッチワーク的思考でコトにあたるって大事だなと思う。ほころびに気づいた時に、まさに“当て布”をするように、対応することができたら、それはとっても意味がある。ちっちゃい穴にちっちゃい当て布をすることなら、自分にもできるって思える人も、多いんじゃないかな。
ツギハギだらけの世界は、うつくしくはなくても、それはやさしい世界であるような気がする。

もちろん「乗りこえる」ために闘っている/闘ってきた人たちはいて、そのことは絶対に尊く、そのおかげで社会は少しずつよくなってきた。
どちらが正しいとかではないし、そもそも対比することでもない感じもするけれど、のりこさんのそのあり方はめっちゃ素敵だし、見習いたいというか取り入れたいなぁと心から思ったのでした。